古代の時代で作られた戸籍制度が、様々な時代を経て現代まで続いたのかというと、実はそうではありません。
9世紀初頭(平安時代)から全国単位の戸籍の作成が行われなくなった時代が存在します。
古代の戸籍制度時代は、各地の豪族を中心とした政治から天皇中心の律令国家に向けて移り変わっていった時代です。
班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)という法体系のもと、古代日本で人民・農地の管理と租税・徴兵の目的で戸籍制度が作られました。
この時代の戸籍制度は人民の支配・管理のためで、緊密な小家族集団を基礎としたものではなかったのです。
平安時代になって律令制衰退後、朝廷による中央政府が戸籍によって全人民を把握しようとする体制は放棄され、日本の在地社会の実情とは合致しなかった戸籍制度は、事実上、終焉を迎えました。
平安時代当時の戸籍は租税を課す基準になっていたため、税金逃れのための戸籍の偽装が行われたり、浮浪人が増えたりする等して、制度自体が崩壊し、消滅していったのです。
併せて、当時、大化の改新を機に続いた天皇を中心とする「律令制」が大きく後退し、貴族が力を持つ新しい制度に変わっていった、という大きな変化も起きていました。
そうして、地域社会の統治は現地赴任国司筆頭者(受領)に大幅に権限委譲されました。さらに受領に指揮される国衙では、資本力のある有力百姓のみを公田経営の請負契約などを通じて把握し、彼らを田堵・負名としました。
このような背景から、民衆支配はもっぱら彼ら有力百姓によって行われるようになりました。
その後、上は貴族から下は庶民に至るまで、家(いえ)という拡大家族的な共同体が広範に形成されていき、支配者が被支配者を把握しようとするとき、この自然成立的な「家」こそが把握の基礎単位となったのです。
日本の長い歴史の中で戸籍の作成が行われくなった時代が存在していたとは、まさに戸籍は時代によって変化を遂げていたのですね。
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