戸籍の歴史_vol.5

戸籍制度のような管理制度が歴史に明確に登場したのは、戦国時代が終わりを迎えた後の安土桃山時代、豊臣秀吉(羽柴秀吉)によって行われた「太閤検地(たいこうけんち)」です。

安土桃山時代がどんな時代なのかひと言で表すと、「織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握った時代」といえます。

戦国時代の武将である豊臣秀吉(1536~1598 年)は、全国統一を成し遂げたのちに、それまで地域によって違いがあった”ものさし”や”ます”を統一し、農民の田畑について、一筆(いっぴつ)ごとの広さを測り、土地の石高(こくだか)などを定める「太閤検地」を行いました。

これが統一的な方法によって、全国的に行われた日本で最初の土地調査です。

これは年貢としての米を取り立てる為のものでした。その土地の権利関係、土地の広さや、どれだけの収穫があるか、そこの農民は誰なのか等を帳面に記したもものです。

現代での事柄に言い換えれば、国勢調査のようなことが行われたのです。

太閤検地によって作られた検地帳は、課税の為の制度という色が強いということがうかがえます。

戸籍という名前はつかないものの、戸籍に代わる制度で租税のために農民・地勢を把握する、ということは歴史の中でずっと行われてきたということが汲み取れます。

日本では、このように歴史が動いていた時、では、世界ではどんな動きがある時代だったか?このような社会科の授業の先生に質問を受けた思い出、脳裏によみがえられた方いらっしゃいませんか。

じわりと現在から判明する戸籍の年代に近づいてきました。

脈々と受け継がれる命の紡ぎは、歴史の紡ぎでもありますね。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。