戸籍制度が復活していなかった江戸時代ですが、戸籍のような管理制度は着実に発達していきました。しかしながら、現在の戸籍に近いものは江戸時代中盤まで、なかなか登場しませんでした。
では、時代の大きなうねりをひしひしと感じずにはいられない歴史背景化で、現代に繋がる戸籍制度はいつ頃、端を発したのでしょう?
それは江戸時代も終盤に差し掛かった頃、まだ幕末とまではいかない1825年のこと。長州藩(現在の山口県)での戸籍法施行です。この法律こそが近代戸籍法の原点とも言われています。
その後の1868年には、長州藩の旧来制度を参考に京都府で戸籍仕法が行われます。前年の1867年11月9日に大政奉還が行われ、時代は明治へと移ろいます。
黒船が来航し、幕末・明治になると、欧米列強の脅威にさらされる中、明治政府は近代国家建設に向け、様々な制度改革、整備を行っていきます。
その中で、明治4年に戸籍法が制定され、それに基づき、翌明治5年に日本で初めての本格的な全国単位の戸籍制度が開始されたのです。これが現行戸籍の基礎になりました。
明治5年(1872年)の干支が壬申(みずのえさる)であることから、この制度によってできた戸籍を壬申戸籍(じんしんこせき)と呼びます。
戸籍の編成単位は「戸」、本籍は住所地であり、身分とともに住所の登録を行ったことから、現在の住民票の役割も担っていました。しかしながら、急激に行われた制度運用の上で一番最初の戸籍だったこともあり、様々な問題があったため、現在は閲覧できなくなっています。
「新平民」や「元えた」などの同和関係の旧身分(穢多、非人)や、病歴、犯罪歴などの記載があることから、現在は各地方法務局の倉庫で一般の目に触れないように厳重に保管されている。ただし、法務省の公式発表では壬申戸籍は行政文書非該当とし一切開示しておらず、廃棄したことになっている。
ウィキペディア(Wikipedia)より
9世紀初頭(平安時代)から全国単位の戸籍の作成が行われなくなった時代を経て、ここに戸籍制度は復活しました。
日本で一番最初に戸籍制度ができた6世紀中頃から、約1200年ちかく経った後、一番身近な近代の戸籍制度へと連なっていくのです。
近代の戸籍制度についてはこちら:戸籍の歴史_vol.1
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